エピソード

 1929年(昭和4年)。大阪では、のちに日本の近代建築界に貴重な業績を残した巨匠・村野藤吾氏が、新進気鋭の建築家として、多くの顧客を抱えながら華々しく独立を果たしました。
 その同じ年、関東大震災からようやく復興を遂げた帝都・東京赤羽の借家の二階一間に、製図板一枚を据えて設計・施工の請負会社を開業した、ひとりの建築家がいました。彼の名は ”佐藤秀三” 。のちに政財界の要人や文化人の邸宅、日光プリンスホテルなどを手掛け、木造建築への飽くなき探求心を生涯持ち続けた昭和の建築家です。
 伝統的棟梁が設計・施工一貫の建設会社を興して成功した例は枚挙にいとまがありませんが、建築家が建築の理想を追究して自ら施工会社を興し、ゼネコンへと発展を遂げた事例はきわめて珍しいことと言えます。
 この佐藤秀三とは、いったいどのような人物であり、どのような建築作品をこの世に残したのでしょうか。建築家が前面に出ることを断固として嫌った彼の実像は、断片的に雑誌や書籍に取り上げられることはあっても、まとまった形で公にされることはありませんでした。
 近代建築史における伝説の建築家・佐藤秀三についてのいくつかのエピソードを、ここにご紹介いたします。

エピソード1
かけがえのない
師との出会い

エピソード2
納得がいくまで
壊してやり直す

エピソード3
豪快さと細部への
こだわり

エピソード4
骨格は骨太でも
精神は数寄屋
/住友那須別邸

エピソード5
木材への
強いこだわり

エピソード6
和洋のセンスを
自在に融合
/渋沢信雄邸

エピソード7
趣味の山と絵画が
生んだ親交

エピソード8
和洋と
近代建築の融合
/住友俣野別邸

 

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