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 佐藤秀三は、日本の伝統的建築に西洋建築のモダンな趣を取り入れた、和洋折衷の木造建築を究めた建築家でした。得心のいく設計を実現するため、自ら建設会社を興すほど、彼の建築に対する想いは、並外れたものでした。また、彼のこだわりは建築の設計だけにとどまらず、家具、照明器具、建具、飾り金物のデザインにまで及んでいます。
 しかし、64年間にもおよぶ彼の建築家としての業績は、あまり多くの人には知られていません。生前、何度か企画された作品集の出版も、ついに実現しませんでした。秀三が手掛けたある大手出版社の社長邸が完成した時にも、同社から作品集出版の企画が持ち掛けられましたが、それを取り次いだご子息は、「お前は何を考えているんだ!住宅は住む方のためにつくるものであって、自分の作品として披露するためにつくるものではない!」と、たいへんな剣幕で叱責されたといいます。このエピソードは、秀三の「建物を造る時は、建てる方の気持ちになって」という確固たる理念と、顧客への陰日向のない真心をよく表しています。
 結局、秀三の作品集は、没後にようやく一遍が制作されましたが、その生涯や作品についての資料は決して多くありません。彼は、もはや伝説の建築家になりかけているのです。
 このコンテンツは、株式会社佐藤秀(旧・佐藤秀工務店)OBへのヒアリング、同社社内資料の他、建築研究者の文献等を参照しながら、建築家・佐藤秀三の人と作品の一端をまとめました。彼の建築家としての足跡、建築に注いだ情熱を、一人でも多くの皆さんに紹介し、後世に伝えるための足掛かりとなれば幸いです。

1914年、山形県工業学校建築科卒業後、住友総本店営繕課に入社。上司であった長谷部鋭吉氏(近代建築界の重鎮。日建設計創業者)の薫陶を受ける。その後、設計会社、施工会社勤務を経て、1929年、佐藤秀三建築工務所(現・株式会社佐藤秀)を創業。16代目住友吉左衞門氏をはじめ、住友系列企業・経営首脳の後援を足掛かりに、設計施工会社としての基盤を固めた。あくなき品質追求の姿勢が評価を受け、政官財界、文画壇の著名人、有名企業に多数の顧客を得るところとなる。木造の住宅、別荘、保養所を得意として手掛けたが、後年は木造大架構のホテルやクラブハウスに意欲的に取り組み、新境地を開いた。

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