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  • 1.かけがえのない師との出会い
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  • 4.骨格は骨太でも精神は数寄屋
  • 5.木材への強いこだわり
  • 6.和洋のセンスを自在に融合
  • 7.趣味の山と絵画が生んだ親交
  • 8.和洋と近代建築の融合
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    趣味の山と絵画が生んだ親交

    秀三にとって初の山小屋建築「志賀アルペンローゼ」
    秀三にとって初の山小屋建築「志賀アルペンローゼ」

     佐藤秀三は、山をこよなく愛した岳人でした。きっかけは、1938年(昭和13年)、ある山岳会の山の家「志賀アルペンローゼ」(のちに長野県山ノ内町指定有形文化財)を、志賀高原丸池に建築したことに始まります。当時の丸池には電気もバスもなく、山麓の湯田中から歩いて登り下りして完成させた、たいへんな難工事でした。
     以来、山の施設は秀三の得意とする建築分野になりましたが、秀三個人も山の魅力にとりつかれ、夏は登山、冬はスキーと、一年を通して山で過ごすようになりました。
     秀三は、那須別邸の建築以来お付き合いのはじまった第16代住友吉左衛門氏とも、山仲間として意気投合しました。その住友氏を通じ、山を通じ、財界の著名人の方々とも親交を深めました。

    妙高高原のスキー場に建てた「レストランチロル」
    妙高高原のスキー場に建てた「レストランチロル」
    旅行で写生を楽しむ秀三
    旅行で写生を楽しむ秀三

     また、もう一つの趣味である絵画を通じ、画壇では、中村研一氏、田村一男氏、向井潤吉氏、笹岡了一氏などと心を通わせ、その人達のアトリエや住宅の建築を手掛けるなど、公私にわたる交流を結びました。中でも向井画伯とは、家族ぐるみで写生旅行に出かけるなど、親交がありました。
     向井画伯のかつての住居兼アトリエ(1962年)は、現在は世田谷区に寄贈され、「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」(1993年増改築)として一般公開されています。画伯と秀三が一緒に創り上げた建築空間で、画伯の作品を鑑賞出来ます。

    向井画伯のアトリエ兼住宅(昭和37年)
    向井画伯のアトリエ兼住宅(昭和37年)
    向井邸は美術館に改装され一般公開されている
    向井邸は美術館に改装され一般公開されている
       

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