エピソード

エピソード8
和洋と近代建築の融合/住友俣野別邸

焼失した重要文化財「住友俣野別邸」を、2016年に同じ場所に再建
焼失した重要文化財「住友俣野別邸」を、2016年に同じ場所に再建

 「住友俣野別邸」は、1939年(昭和14年)横浜市戸塚区の丘陵に、住友家16代当主住友吉左衛門友成氏の東京別邸として建築されました。
 構造は木造二階(一部RC造地下あり)及び平屋で、母屋棟と子供室棟、厨房等のサービス棟がY字の放射状に配置されています。
 佐藤秀三は、これに先立つ1937年(昭和12年)、同じく住友家の注文により「住友那須別邸」を、続いて1938年(昭和13年)には「渋沢信雄邸」を設計施工していますが、いずれもヨーロッパの伝統的な木造建築様式であるハーフティンバースタイル(柱・梁・筋交い等を外部に露出させ、その間をモルタル等で埋める工法)であったのに対し、この住友俣野別邸はハーフティンバースタイルは一部に抑え、モルタルリシン掻き落としと洋風下見板ペンキ仕上げを中心としたデザインとなっています。
 外観上、特に目立つのは母屋棟二階にある、平面形状が半円形の展望室で、ここからは丘陵を見下ろし、遠くに富士山が望めます。また、玄関ポーチ(車寄せ)は北側二階の屋根をそのまま一階まで葺きおろし、柱で支える独特な造りとなっています。

主屋棟南側外観
主屋棟南側外観
二階の展望室から富士山をのぞむ
二階の展望室から富士山をのぞむ

 内部は、表しの柱や梁の木部はステイン塗仕上げ、壁はラフコート仕上げ、コンビネーション仕上げ、漆喰仕上げ、玄関及び応接室床に栗ブロック敷、日光室は板石敷と変化に富んでいます。
 この建物は2004年(平成16年)に国の重要文化財として指定され、その指定の理由は「意匠的に優秀」「歴史的価値が高い」というものでした。秀三の名が、日本建築史のページに刻まれた記念すべき快挙でした。
 残念ながらこの建物は修復工事中に焼失し指定は解除されましたが、文化的な価値が認められ、焼け残った建材や建具を使用し、2016年(平成28年)再建工事が完了し、「俣野別邸庭園」内の施設として一般公開されています。(再建された建物は、2017年に横浜市認定歴史的建造物に認定されました。)

建物北面のアプローチ
建物北面のアプローチ
周辺は俣野別邸庭園として一般開放されている
周辺は俣野別邸庭園として一般開放されている
 
 
 

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