エピソード

エピソード6
和洋のセンスを自在に融合/渋沢信雄邸

「渋沢信雄邸」南側外観
「渋沢信雄邸」南側外観

 佐藤秀三は、1938年(昭和13年)、明治の実業家である渋沢栄一氏の孫にあたる渋沢信雄氏の邸宅を、東京・品川に建築しました。「洋風すきや」と評される秀三の特徴をよく表す、戦前の代表作のひとつで、現在は長野県の上林温泉に移築されています。
 ヨーロッパの伝統的な木造建築技術のハーフティンバー工法(外壁に柱・梁・筋交い等を装飾的に見せる工法)を用いたイギリス風の家をご希望になった渋沢夫妻は、渋沢家出入りの建設会社に設計プランを依頼。ところが、デザインは希望に沿ったかたちのものであったようですが、なかなか踏みきれずにいらしたようです。そんな折、友人から紹介された秀三に連れられて、青山のY邸(昭和11年完成)を訪れた夫妻は、そのイギリスの田舎家風の建物をすっかり気に入ってしまいました。それ以上に、Yさんと接する秀三の人柄にほれ込み、すべてを任せたそうです。

階段ホール
階段ホール
和室
和室

 秀三は渋沢信雄邸の建築に際し、前年に完成した住友那須別邸で使ったのと同じ栗材を、玄関の壁に板状に剥いで重ね張りしたり(栗木端張り)、室内の床、柱、化粧小屋組み等に、ふんだんに使用しています。
 この渋沢信雄邸は、幾度か建築雑誌で紹介されており、いずれも秀三の独特の世界観や、そのデザイン性が高く評価されています。特にホールから客間、居間の空間は和と洋が自在に融合されており、ある研究者はこの客間について、「左右対称という、西洋館の暖炉の定石を破ったデザインが、日本の床の間のような構成であり、堅苦しくなく自然で、なかなかこのような設計は出来るものではない。」と述べています。
 渋沢夫人は、この建物について、「きれいばかりだと疲れてしまうが、とても自然で、安心して、気楽に住める家であった。」と述懐されています。

居間客間
居間客間
渋沢邸の暖炉を佐藤秀本社内に再現
渋沢邸の暖炉を佐藤秀本社内に再現
   
 
 

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